antipasto

XOIC すべてを埋め尽くす雪に想うこと (高橋明可)

 雪は嫌いだ。
 きっと、僕が死んだ日にも降っていたに違いない。
 
「はあっ」
 息を切らせて、皇(おう)は背負っていた重い荷物をどさりと降ろす。
「おっと、丁重にお迎えしなくちゃな。初めていらっしゃったお客様なんだから」
 形のよい唇がにやりと笑った。
 彼は、その荷物を用意しておいた台に横たえる。
 さすがに重かった。
「なんで、僕がこんな力仕事を……」
 笑っていた顔が、不機嫌そうな表情に変化する。皇は表情豊かで、感情も豊かで、それゆえにきまぐれだった。
 さらりと流れる白金色の柔らかそうな髪は肩のあたりで切り揃えられていて、それが縁取る少女のような小作りの美しい顔、すこし浅黒い、南方の生まれを想像させる滑らかな肌。
 そして、青空の下の海の色をたたえた大きな瞳。
 遠い異国を思わせるような幻惑的な容姿をしている。
 しかし、海の色の瞳は青空は見たことがない。
 彼は吸血鬼。夜の世界の住人だった。
「さて」
 皇は、荷物を覗き込んだ。
 その乱れた襟元をなおしてやる。
「ヴァイ様が気に入るといいんだけど……」
 そう呟いて、彼は扉に向かう。地下室はひんやりとした空気に包まれていた。
 そして、扉をあけた後、ふと何か忘れものをしたかように振り返った。
 誰も見ていないのに、まるで舞台に立つ俳優のごとく、皇は言い放つ。
「お休み。目覚めたら会おう。その時はいろいろ教えてあげる」
 くすっと皇は笑った。誰も見てないのが惜しいくらいの笑顔だった。

 ここ、ヴァイの館は、その力に守られ、外の天候に影響されることはない。
 その領地は、気が遠くなるような長い間、常に同じ空気に支配されていた。
 ゆるやかで柔らかい、どこか停滞しているような、でもそれが返って居心地がいい。
 始祖ファウストに繋がるヴァイと、そしてそのヴァイを「父」と崇める子どもたちが住んでいた。
 皇もそのひとりだった。
 だが、皇は他の子どもたちとは、若干違っていた。
 そして、その力ゆえに、父なるヴァイの傍で働くように指示されていた。
 それこそが皇のプライドの源だった。
 名無しのレザや、勝手に出歩いてるデュランのあいつらとは違うんだ。
 皇はそう思っていたから、くだらない仕事も、やっかいな雑事も引き受けていた。
 他の「仲間」と共に。

「皇? 寝ているのか?」
 長椅子に座ったまま眠っていたらしい。
 どうやら、ひとつの昼をここで越えてしまったようだ。
 吸血鬼の感覚で、外界が夜になったことを感じ取る。
「部屋に姿がないから、どこにいるかと思えば」
 声の主は、皇を覗き込んでいた。
「弑(しい)」
 瞼を開けて、皇は「仲間」の姿を確認する。
 じっと、皇は彼を見上げる。だが皇と弑が目が合うことはない。
 弑は暗闇の世界しか持っていない。盲いていた。
 ううんと、皇は伸びをした。
 そうだ。地下室から戻ってきて、自分の部屋に戻ろうとしたんだけど、めんどくさくて、この部屋で休んで、それで、寝ちゃったんだ。
 自分の行動を思い出した。
 別に律儀に寝台で寝ることはない。
 寝たい時に寝たい場所で、寝ればいいのだ。皇はそう思っていた。
 このヴァイに守られた巣の中ならどこでも。
「なに、どうしたの?」
 物憂げに皇は、椅子の背もたれに寄りかかりなおした。まだどこか頭には靄がかかっているよう。
 そうだ、まだ眠いんだ。
 起こしやがって。
 皇の瞳に攻撃的な色が浮かんだことだろう。だがそれは弑には見えない。
 いつものように、落ち着いた声で弑は言った。
「お前がもってきたボディ、だめだったそうだ」
「ええっーーー!?」
 靄が一気に飛んでいく。
「なんでぇ! かなりいい線いってたんだよ!? きれいだし、新鮮だしさあ」
「どうやら、生きていた時に病気だったようだな。持たなかった」
「えーーー……」
 がっくりと皇は肩を落とす。
「大変なんだぞ、持ってくるの」
「わかっている」
 静かに弑が微笑んだ。
「重いしさあ……見つかるとやっかいだから、こそこそしなきゃなんないしさあ……あと見た目も綺麗なほうがいいでしょ、若いほうがいいし、なかなか見つからないんだよ、そんなの」
 そこまで呟いてから、皇は溜息をついた。
「ヴァイ様はなんて言ってたの?」
「次に期待する、そうだ」
 父の容赦ない励ましの言葉に、皇はずるずると長椅子に倒れ込んだ。
 まっすぐな髪がはらりと、椅子の上に広がる。
 ヴァイのために持って来たボディ。上手くいけば、また目を開け、動き出すはずだった。
 弑と、そして皇のように。
「簡単に成功するわけではない。私と愛と、そして皇。君は特別なんだ」
 言い含めるように弑が言った。

 わかってんだけど、そんなこと! 

 内心で悪態をつきながら、皇は目を閉じた。
「外……雪が降ってるんだ」
 皇が呟くように言った小さな言葉を弑は聞き逃さなかった。
 盲いた世界に住んでいる弑は、その分、他の感覚が鋭い。
「雪?」
 まるで、見えるかのように弑は、窓の外を窺った。
 もちろん、外界の雪なぞ見えるわけがなかったが。
 闇しか見えない弑だからではなく、それは皇の目にもそうだった。
「僕、雪は嫌いなんだ。寒いし、冷たいし」
「そうか」
「とにかく、嫌いなんだ」
 ごろりと皇は体勢を変えた。仰向けになり、高い天井を見上げる。視界の隅には弑の姿。弑はとても背が高かった。
 皇の海の色の瞳は、まっすぐ上を見ていた。
 
 死以前の記憶はない。
 でもどうしてだろう。なぜだかその情景が思い浮かぶ。
 きっと僕が死んだ日は、雪が降っていたに違いない。
 僕の死体の上に、雪が、雪が、雪が、降り積もって。
 こうやって、きっと、灰色の空から降りてくる雪を見ていたに違いない。
 死んでしまった僕は。
 
「今回は私も行こう」
 ぱさりと、衣擦れの音がした。
 皇は、ふっと首を曲げて、弑のほうを見やる。弑が外套を羽織っていた。黒。闇より濃い。
「でも……」
 皇は長椅子の上で身を起こした。
「ヴァイ様は? 今、愛もどっかいっちゃってるだろ」
「大丈夫だろう、他の者もいるのだから。数日空けても構わない」
「でも」
「お前もこれを着るといい。いつものより厚手だから」
 もう一着、弑は外套を持っていたようだった。それを座っている皇に羽織らせる。
 愛用の杖を床におき、弑はすっと腰を下ろし中腰になった。
 皇に着せた外套の襟が曲がっていないか確かめるように、そっと触れた。
 淀みない仕草だった。
「僕、まだ行くっていってないけど」
「そうか。でもヴァイ様のご命令だ」
「……そうだね」
「私も行く」
「わかったよ」
 わざとらしく大きく溜息をついた。
 父の命令は絶対だから。もちろん、それに逆らう気なんてさらさら無い。
 でも、仲間に愚痴ったりする時間くらいある。
 弑も皇も、すでに長い時間を生きていた。
「しかたないな、僕がいかないと何もはじまらないんだから」
 その言葉に、目の前の弑がふっと微笑む。
 もちろん、皇も笑い返した。

 雪が静かに降り積もる。
 僕は埋もれていく。
 もしかしたら、これは未来のことなのかもしれない。
 過ぎ去った未来なのか、これからやってくる過去なのか。
 ただただ雪が積もっていく。
 雪が覆い隠しているのは、僕なのか。
 それとも違う誰かなのか。

 偉大なる父の力に守られた領地から一歩でると、雪が夜の空から舞い降りていた。
 ぶるっと皇は身を震わせる。
 外界の雪は、皇の丸い頬に触れて、その結晶を崩していく。
 ちくりと刺すような冷たさに、やっぱり雪は嫌いだな、と皇は思った。
【終】